OAMのNさんにお誘いいただいて、沖縄関係学研究会・近現代東アジア研究会主催の講演会「沖縄の基地と環境汚染ーその現状・ポリティクス・知る力」に足を運んだ(津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス)。講師は河村雅美さん(The Informed-Public Project)。
(最初に卒論発表が2つあり、興味もあったのだが、時間がなくて聴くことはできなかった。)
ベトナム戦争のときに、米軍はベトナムにおいて枯れ葉剤を大量散布した。それは出撃基地のある沖縄において、杜撰に保管し、杜撰に廃棄し、使用までもしていた。このことは、2007年に北部訓練場(やんばる)において使われていたとの報道があって、その後も、ジャーナリストのジョン・ミッチェルさんらによって米国情報公開法を使って追及され、報道されてきた(ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』など)。
河村さん曰く、汚染問題の報道は「打ち上げ花火的」になってしまう。自分の近くで汚染が起きているわけでない日本の者にとっては、なおさらである。
追及に際しての問題のひとつは、日米地位協定にある。この「環境補足協定」においては、問題の解釈や裁量はすべて米軍の側にある。文化財調査も返還合意がなければ日本側ができなくなった(2015年改悪)。この問題については、アメリカ政府→日本政府→沖縄県→市という権力構造があり、また県や市の側からもともすれば儀式化した要請や抗議にとどまり、なかなか解決の力学は働かないのだという。
最近発覚した問題のひとつに、沖縄市サッカー場でかつて地下に埋められた大量の枯れ葉剤のドラム缶が発見された事件があった(2013年)。嘉手納基地の跡地である。返還時ではなく、返還された後に生活空間として利用されていたわけであり、最近はこのようなパターンが続出しているという。そして、返還後の土地の環境汚染を規制する根拠法はない。従って監督官庁もない。日本政府は「エージェント・オレンジではない」として矮小化を図った。
重要なことは、住民参加、透明性と専門性を持たせた調査の監視であった。県と市はそれぞれ調査を行い、結果のクロス化を図った。しかし、2017年5月、突然、サッカー場が駐車場に用途変更された。実に不透明な決定過程であった。沖縄の側にも隠蔽・矮小化の力学が働くということである。
もちろん問題はこれだけでなく、北谷町上勢頭住宅地、読谷村の農地でもダイオキシン汚染が発覚している。単純にエージェント・オレンジだけというわけではなく、複合汚染というわかりにくい問題があるようだ。また、嘉手納基地周りの水源ではPFOS(有機フッ化化合物)の汚染がある。
そして、やんばるの北部訓練場も、汚染の問題は横に置いて、環境省はそれを「ないもの」として世界自然遺産への登録を進めている。しかし、世界遺産は、登録されたから保護されるものではなく、逆に、保護を担保する措置があるからこそ登録されるものである。このあたりの過程は不透明で、環境省と米軍、IUCN(国際自然保護連合)とのやりとりは開示請求するも不開示になったとのこと。日米両政府にも地元にも、米軍基地を「なかったこと」にして、返還跡地を国立公園化して利用したいという思惑がある。
生活空間の汚染による影響についてタカをくくり、サッカー場にしてもやんばるの森にしても、これまでの米軍の爪痕から目を背けて蓋をすること。これはあってはならないことである。問題の発生や解決の過程を透明化し、そのための場を作りだし、問題をパブリックなものにしていくべきだという提言は、とても納得できるものだった。
●参照
ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
大宮浩一『石川文洋を旅する』
森口豁『毒ガスは去ったが』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』