小川紳介『三里塚 五月の空 里のかよい路』(1977年)を観る。
小川紳介『三里塚 辺田部落』(1973年)から数年後、小川プロの三里塚シリーズ最終作。また、『日本解放戦線・三里塚』(1970年)に続くシリーズ2本目のカラー作品でもある。前作のあと、小川プロは山形の牧野に移り住み、そこを「生活地」として、コメ作りを行っていた。
視線が土地と生活の詳細に注がれることは、依然として、徹底している。それにより、権力と抵抗との闘いというようなドラマを形成しようとする意思はさらさらない。
具体的には、辺田部落の産土神社たる面足神社の経緯とご神体(かつて塚から掘り出された埴輪)。春になると北総台地に吹き荒れ、せっかくの土壌を吹き飛ばしてしまう赤風。そして、反対同盟が建てた鉄塔(1972年『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』で描かれる)が突然の機動隊の「家宅捜索」と撤去の仮処分により、身軽なレンジャー部隊により倒されてしまうのだが、そのとき、農民たちがどこで何をしていたか、また炊き出しのおにぎりを食べる様子。ヘリの風が西瓜畑に吹き付け、どのようにせっかくの西瓜をダメにしてしまったかの分析。機動隊が使った毒ガス弾(催涙弾など)の中身の分析。この徹底した手法の映画において、生活や闘いのプロセスを抽象論に落とし込むことは不可能だ。
鉄塔の撤去にあたり、機動隊員は、関西から青森まで「全国動員」がなされていた。ここに、いまの高江と重なる弾圧の姿を視ることができるわけである。
西瓜畑をダメにされた農民の言葉が重い。自分のことを「きちげえだと思っているだろう」。「今まで出てった人も決して好き好んで出てってったわけじゃない」。畑に「愛着がある」というのは、「なじむまで10年も15年もかかる」という技術的なことを表現しているのでもある。移転したところで、限られた時間の人生の中で新しいことなどできない。イデオロギーで反対しているわけではない。「農民から土地を取り上げられたら何が残るっていうの」。
●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 辺田部落』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)