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ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(JazzTokyo)

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ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(New Atlantis Records、-2017年)のレビューを、JazzTokyo誌に寄稿しました。

>> #1413『Brandon Seabrook / Die Trommel Fatale』

Brandon Seabrook (g)
Chuck Bettis (throat/electronics)
Dave Treut (ds)
Sam Ospovat (ds)
Markia Hughes (cello)
Eivind Opsvik (b)

●ブランドン・シーブルック
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)(2016年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
アンドリュー・ドルーリー+ラブロック+クラウス+シーブルック@Arts for Art(2015年)
クリス・ピッツイオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
トマ・フジワラ『Variable Bets』(2014年)
アンドリュー・ドルーリー『Content Provider』(2014年)
ブランドン・シーブルック『Sylphid Vitalizers』(2013年)


ジェームス・ブランドン・ルイス『No Filter』(JazzTokyo)

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ジェームス・ブランドン・ルイス『No Filter』(BNS、-2017年)のレビューを、JazzTokyo誌に寄稿しました。

>> #1417 『James Brandon Lewis Trio / No Filter』

JBL Trio:
James Brandon Lewis (ts)
Luke Stewart (b)
Warren Trae Crudup III (ds)

Special Guest:
P.SO the Earth Tone King (MC) (M-3)
Nicholas Ryan Gant (vo) (M-6)
Anthony Pirog (g) (M-3 and 6)

『Trio Riot』

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『Trio Riot』(Efpi Records、2012年)を聴く。

Mette Rasmussen (as)
Sam Andreae (ts)
David Meier (ds)

メテ・ラスムセン参加作ということで入手したのだが、正直言ってあまり面白くはない。

先日メテさんが来日したときに、スーパーデラックスで坂田明さんと共演したときにも、似たような印象を抱いた。他のサックスと張り合ってはメテさんの凄みがいまひとつ発揮されないということか、それとも、本盤がメテ・ラスムセンになる前のメテさんということか。

●メテ・ラスムセン
Kiyasu Orchestra Concert@阿佐ヶ谷天(2017年)
メテ・ラスムセン@妙善寺(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy(JazzTokyo)(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy、スーパーデラックス(2017年)
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
シルヴァ+ラスムセン+ソルベルグ『Free Electric Band』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(JazzTokyo)(2013年)

ハン・ベニンク『Parken』

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ハン・ベニンク『Parken』(ILK Music、-2009年)を聴く。

Han Bennink (ds)
Simon Toldam (p)
Joachim Badenhorst (cl, bcl)
Qarin Wikstrom (vo) (M-9)

マイペース感ただようヨアヒム・バーデンホルストのクラとバスクラも良いのだが、やはりこのトリオの主役はハン・ベニンクと決まっている。突然気が向いたら叩くという行動を存在にまで昇華した人がハン。

(むかし渋谷毅、井野信義、ハン・ベニンクというピアノトリオを観たとき、井野さんの出す合図には頓着せず、急に豹変して叩き始めたりやめたりしてみんな苦笑していたことを思い出す。)

「Lady Of The Lavender Mist」、「Isfahan」、「Fleurette Africaine」というエリントン物をオリジナルと交互に演奏しており、妙になごんでしまう。

●ハン・ベニンク
ハン・ベニンク@ディスクユニオン Jazz Tokyo(2014年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(2002年)
エリック・ドルフィーの映像『Last Date』(1991年)
ICPオーケストラ『Bospaadje Konijnehol』の2枚(1986-91年)
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(1981年)
レオ・キュイパーズ『Corners』(1981年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ウェス・モンゴメリーの1965年の映像(1965年)

●ヨアヒム・バーデンホルスト
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(2015年)
パスカル・ニゲンケンペル『Talking Trash』(2014年)

アグリゲイト・プライム『Dream Deferred』

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アグリゲイト・プライム『Dream Deferred』(ONRX、2015年)を聴く。

Aggregate Prime:
Kenny Davis (b)
Mark Whitfield (g)
Ralph Peterson (ds)
Vijay Iyer (p)
Gary Thomas (ts, fl)

サプライズもあるなかなかのメンバーで、吹き込み当時、かなり驚かされて楽しみにもしていた。特にゲイリー・トーマスの名前が懐かしい。その後忘れていたところ、JOEさんが教えてくれて、わたしも慌てて入手した(>> JOEさんのブログ)。

今朝2回ほど繰り返して聴いてみたわけだが、感想は、まあ似たようなものである。そりゃあ、ゲイリー・トーマスが昔と変わらず朴念仁のようなテナーを吹いてくれるのは嬉しいことだ。ラルフ・ピーターソンのすべてを無意味になぎ倒しそうな人間扇風機・トマソンぶりも好きである。過剰に期待しなければ良いジャズである。

しかし、名前の組み合わせ以上には、演奏のサプライズはない。確かにヴィジェイ・アイヤーの存在意義は何なのかとツッコミたくもなる。昔の名前でジャズをやっています、に、つきあってしまった感あり。

ところで、ラルフ・ピーターソン『Triangular III』はとても良い作品だった。聴くならそっち。

●ラルフ・ピーターソン
ラルフ・ピーターソン『Triangular III』(2015年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)

●ゲイリー・トーマス
スティーヴ・リーマン『Sélébéyone』(ゲイリー・トーマス『The Kold Kage』、1991年)
ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』(1990年)

●ヴィジェイ・アイヤー
ヴィジェイ・アイヤー+プラシャント・バルガヴァ『Radhe Radhe - Rites of Holi』(2014年)
ヴィジェイ・アイヤーのソロとトリオ(2010、2012年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
フィールドワーク『Door』(2007年)
ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)

Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO

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東北沢のOTOOTOにて、「Spontaneous Ensemble vol.7」(2017/6/3)。

(ところでOTOOTOにはじめて足を運んだのだが、最寄りの東北沢駅の近くには絶望的なほどカフェがなくて、早めに着いたわたしは公園のベンチでぼんやり読書をするはめになってしまった。ぎりぎりの時間であれば東北沢、余裕があれば下北沢を使ったほうがよさそうである)

Joachim Badenhorst (cl, bcl, ts)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Straytone (electronics)
Takashi Masubuchi 増渕顕史 (g)

19:30~19:50 Joachim + Toshimaru Duo
19:50~20:10 Toshimaru + Masubuchi Duo
20:20~20:40 Joachim + Straytone
20:40~21:00 All Members Quartet

ヨアヒム・バーデンホルストの変幻さにとても惹かれる。中村としまるとのデュオではクラとバスクラにて、また、Straytoneとのデュオではクラとテナーで、強度のある電子音と一体化するようなアプローチ。全員での演奏では、ふたりの別地平にいる電子音に伍するようにマルチフォニックでも攻める。耳の中にはかすかな音の残滓が残るようである。

エレクトロニクスでは、中村としまるさんの構築(という言葉を使いたくなる)するサウンドは抽象の帝国、Straytoneのそれはこの世界ながら無人地帯でのとどめようもない力のような。そのような中で、増渕さんのギターがスライドも使いつつ、饒舌を排しながら、抽象と抒情との両方に介入した。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●ヨアヒム・バーデンホルスト
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(2015年)
パスカル・ニゲンケンペル『Talking Trash』(2014年)
ハン・ベニンク『Parken』(2009年)

●中村としまる
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)

河村雅美さん講演「沖縄の基地と環境汚染ーその現状・ポリティクス・知る力」

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OAMのNさんにお誘いいただいて、沖縄関係学研究会・近現代東アジア研究会主催の講演会「沖縄の基地と環境汚染ーその現状・ポリティクス・知る力」に足を運んだ(津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス)。講師は河村雅美さん(The Informed-Public Project)。

(最初に卒論発表が2つあり、興味もあったのだが、時間がなくて聴くことはできなかった。)

ベトナム戦争のときに、米軍はベトナムにおいて枯れ葉剤を大量散布した。それは出撃基地のある沖縄において、杜撰に保管し、杜撰に廃棄し、使用までもしていた。このことは、2007年に北部訓練場(やんばる)において使われていたとの報道があって、その後も、ジャーナリストのジョン・ミッチェルさんらによって米国情報公開法を使って追及され、報道されてきた(ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』など)。

河村さん曰く、汚染問題の報道は「打ち上げ花火的」になってしまう。自分の近くで汚染が起きているわけでない日本の者にとっては、なおさらである。

追及に際しての問題のひとつは、日米地位協定にある。この「環境補足協定」においては、問題の解釈や裁量はすべて米軍の側にある。文化財調査も返還合意がなければ日本側ができなくなった(2015年改悪)。この問題については、アメリカ政府→日本政府→沖縄県→市という権力構造があり、また県や市の側からもともすれば儀式化した要請や抗議にとどまり、なかなか解決の力学は働かないのだという。

最近発覚した問題のひとつに、沖縄市サッカー場でかつて地下に埋められた大量の枯れ葉剤のドラム缶が発見された事件があった(2013年)。嘉手納基地の跡地である。返還時ではなく、返還された後に生活空間として利用されていたわけであり、最近はこのようなパターンが続出しているという。そして、返還後の土地の環境汚染を規制する根拠法はない。従って監督官庁もない。日本政府は「エージェント・オレンジではない」として矮小化を図った。

重要なことは、住民参加、透明性と専門性を持たせた調査の監視であった。県と市はそれぞれ調査を行い、結果のクロス化を図った。しかし、2017年5月、突然、サッカー場が駐車場に用途変更された。実に不透明な決定過程であった。沖縄の側にも隠蔽・矮小化の力学が働くということである。

もちろん問題はこれだけでなく、北谷町上勢頭住宅地、読谷村の農地でもダイオキシン汚染が発覚している。単純にエージェント・オレンジだけというわけではなく、複合汚染というわかりにくい問題があるようだ。また、嘉手納基地周りの水源ではPFOS(有機フッ化化合物)の汚染がある。

そして、やんばるの北部訓練場も、汚染の問題は横に置いて、環境省はそれを「ないもの」として世界自然遺産への登録を進めている。しかし、世界遺産は、登録されたから保護されるものではなく、逆に、保護を担保する措置があるからこそ登録されるものである。このあたりの過程は不透明で、環境省と米軍、IUCN(国際自然保護連合)とのやりとりは開示請求するも不開示になったとのこと。日米両政府にも地元にも、米軍基地を「なかったこと」にして、返還跡地を国立公園化して利用したいという思惑がある。

生活空間の汚染による影響についてタカをくくり、サッカー場にしてもやんばるの森にしても、これまでの米軍の爪痕から目を背けて蓋をすること。これはあってはならないことである。問題の発生や解決の過程を透明化し、そのための場を作りだし、問題をパブリックなものにしていくべきだという提言は、とても納得できるものだった。

●参照
ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
大宮浩一『石川文洋を旅する』
森口豁『毒ガスは去ったが』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』

渋谷毅@裏窓

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新宿ゴールデン街の裏窓で、渋谷毅ピアノソロ(2017/6/4)。前回は早々に売り切れてしまったので、焦って予約した。客はカウンターの中も含めて12人。

渋谷さんがピアノを弾き始めるまでの時間、いつものように、お店では浅川マキが流れる。「センチメンタル・ジャーニー」、「それはスポット・ライトではない」、「夜」、「Just Another Honky」。みんな静かに耳を傾け、渋谷さんを見るともなく見る。渋谷さんが鼻歌でマキの歌に合わせ始めた。これだけで感極まってしまう。

渋谷さんはオリジナルも、エリントン曲「Mighty Like the Blues」も、「Body and Soul」、「Skating in Central Park」、「Stella by Starlight」、「You Don't Know What Love Is」、「Softly, as in a Morning Sunrise」、「Danny Boy」といったスタンダードも弾いた。浅川マキが歌った「My Man」も弾いた。要するにいつもの渋谷さんなのだが、いつも不思議に素晴らしい。ノンシャランとしてスピードを自在に自然体に操るピアノを聴いていると、飲んでいなくても酔ってくる。

最後は、やはりいつものように、「Lotus Blossom」、そして「無題」。

●渋谷毅
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅@裏窓(2016年)
渋谷毅+市野元彦+外山明『Childhood』(2015年)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
渋谷毅+津上研太@ディスクユニオン(2011年)
渋谷毅のソロピアノ2枚(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
『RAdIO』(1996, 99年) 
渋谷毅+川端民生『蝶々在中』(1998年)
『RAdIO』カセットテープ版(1994年)
『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee(1988年)
『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』(1987-92年)
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年) 
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
見上げてごらん夜の星を 


ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』

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ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(Blue Note、-2017年)を聴く。

Louis Hayes (ds)
Dezron Douglas (b)
Abraham Burton (ts)
David Bryant (p)
Josh Evans (tp)
Steve Nelson (vib)
Gregory Porter (vo) (M-3)

レジェンドと呼ぶべきルイ・ヘイズがリーダー、ジョシュ・エヴァンス、デヴィッド・ブライアントらが参加し、ホレス・シルヴァーの曲を演奏している。これはと思い大いに期待してすぐに入手した。

確かにヘイズの嵐の如きドラミングは聴こえてくる。グレゴリー・ポーターが歌う「Song for My Father」も悪くない。ブライアントのピアノも知的に光っている。しかし、どうも勢いや突破力がない。せっかくのジョシュ・エヴァンスをこの音楽に押し込めてしまっては勿体ない。エイブラハム・バートンの熱さもいまひとつ感じられない。

これはなぜだろう。本当に勿体ない。ヘンに丸めた録音が理由か。

ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)と聴き比べてみると、ヘイズやウディ・ショウやルネ・マクリーンやロニー・マシューズが生命力を発散しまくるような音とは、やはり雲泥の差。ミュージシャンの違いとは考えたくない。 

●ルイ・ヘイズ
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』(1969年)

●エイブラハム・バートン
ジョシュ・エヴァンス@Smalls(2015年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)

●ジョシュ・エヴァンス
ジョシュ・エヴァンスへのインタヴュー(2015年)
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)

●デイヴィッド・ブライアント
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)

●グレゴリー・ポーター
グレゴリー・ポーター『Take Me To The Alley』(2015年)

齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ』

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齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史』(講談社選書メチエ、2017年)を読む。

かつて、アメリカ発の「ジャズ大使」「ジャズ外交」があった。本書は、それによる相手国でのジャズ受容史であるのと同時に、アメリカ本国においてジャズへの認識がどのように変容していったかを追ったものでもある。

なぜならば、アメリカにおけるジャズとは、少なくとも為政者たちから見れば、当初は一段劣る芸能に過ぎず、自国を代表する芸術とはみなされないからであった。また、共産主義に近いものであり、危険な抵抗の運動であるとも認識されていた。白人が中心に座る国にあって相容れない側面もあった。

事態は変化し続けた。やがて、ジャズは反共の道具、アメリカニズムを発信するためのプロパガンダとして企図されるようになった。そうなればイメージ戦略こそが大事になる。1956年に初めてのジャズ大使に選ばれたのはディジー・ガレスピーであり、人種統合の象徴たることを期待されたわけである。その次はベニー・グッドマンだが、いかにも古く、メンバーとの軋轢も大変なものがあったようだ。デューク・エリントン、デイヴ・ブルーベックらは「高級」でもあり、「反動」のおそれはなく、また音楽は当然素晴らしいものであったため、各地で大評判となった。

しかし、ミュージシャンの側が、政府の期待する役割にやすやすとはまり、一枚岩になったわけではない。チャールス・ミンガスなどは何をしでかすかわからないから忌避された。オーネット・コールマンなどフリージャズも警戒された。ルイ・アームストロングは人種統合の象徴としてうってつけだったが、かれは、アメリカで実現していないことをイメージとして対外発信する欺瞞を指摘し、批判した。

一方の相手国でも、国によって、状況はまるで異なっていた。フランスでは、早くから、ジャズは黒人の音楽であり、自由の文化であり、コスモポリタニズムやモダニズムを体現するものであった。ソ連や東欧では、アメリカニズムの浸透や体制破壊のエネルギーを恐れ、デタントの時代でもその活動は厳重な監視下に置かれた。逆に、反米の象徴となることもあった。アフリカでは、ランディ・ウェストンが、アメリカにおいてよりも熱狂的に受け容れられた。タイではジャズファンのプミポン国王がジャズ大使一行とのセッションを繰り広げた。日本は極めて熱心にジャズを受けとめた。

総じて言うことができるのは、このような過程を通じて、ジャズがもはやアメリカ発祥の文化ではあってもアメリカだけの文化ではなくなったという歴史が形成されてきたことである。それは実に多様で魅力的だ。例えば、中央線ジャズや旧ソ連圏のジャズの愛好家にとってみれば極めて当たり前のことだが、「本場」はあちこちに存在するのである。そしてそれぞれが言葉や顔つきや空気のように異なっている。

こうして本書によって国も時代もまたがって旅をしていくと、ウィントン・マルサリスに象徴されるような「ジャズをアメリカに取り戻そうとする動き」も、相対化して見ることができようというものだ。

李政美『わたしはうたう』

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李政美『わたしはうたう』(オフィスとんがらし、1997年)を聴く。いぢょんみさんの最初のCDである。

李政美 (vo)
矢野敏広 (g, mandolin)
HALMA GEN (key)
和田啓 (クンダン, perc)

ゲスト:
向島ゆり子 (fiddle)
広瀬淳二 (ss)
塚本晃 (harmonica)
村山二朗 (篠笛)
宮崎節子 (チャング)

もうこのときから、歌声には堂々として湿り気があって、また聴きに行きたくなる。

金子みすゞの詩に李さんが曲を付けた「星とたんぽぽ」「わたしと小鳥とすずと」も良いのだが、何といっても、名曲「京成線」である。その歌詞「低い鉄橋のその下には/埋もれたままの悲しみ眠る」は関東大震災で虐殺された人たちのことであり、「川向うから吹く風は/なつかしい匂い運んでくる」とは皮革工場の匂いのことなのだという。(李さんのご両親は済州島生まれである。)

ところで、驚いたことに、12曲目「祈り」には広瀬淳二がソプラノサックスで参加している。さぞヘンな世界を創り出しているだろうと期待したが、普通の演奏だった。

●李政美
板橋文夫+李政美@どぅたっち(2012年)

中村としまる+沼田順『The First Album』

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中村としまる+沼田順『The First Album』(doubtmusic、2017年)を聴く。

Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Jun Numata 沼田順 (g, oscilator, radio)

ちょうどこれが録音されたライヴを観ていた(内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室)。そのときふたりの動きを視ながら音を脳内処理して感じたふたりのキャラの違いが、あらためて聴くと、ハイコントラストとなって露わになってくる。それゆえの面白さもある。

すなわち、静と動。抽象と具象。鉱物の物語と人間の物語。策謀と策動。下の重心と上の重心。パラノとスキゾ(いやそれはちょっと違うか)。うう、眠くてどろどろしていたのに眼が醒める。

沼田社長はツイートに「うちのヨメは「としまるさんの音は建築物であんたの音はその建築物の前で動いている人間だ」と評してましたが、」と書いておられて、それにも妙にツボを突かれてしまったのだった。

●中村としまる
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)

●沼田順
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年) 

ピーター・ヴァン・ハフェル+ソフィー・タシニョン『Hufflignon』

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ピーター・ヴァン・ハフェル+ソフィー・タシニョン『Hufflignon』(clean feed、2008年)を聴く。

Peter Van Huffel (as, ss)
Sophie Tassignon (voice)
Samuel Blaser (tb)
Michael Bates (b)

タイトルからしてヘンである。たぶんハフェルとタシニョンのふたりの名前を合わせてハフリニョン。

サウンドはもっと変わっている。奇妙なアンサンブルのもと、サックスとヴォイスとのユニゾンがぞわぞわするほど気持ち良い。さらにトロンボーンとベースとがまた明後日の方向を向いて踊っており、意識があっちとこっちとに連れまわされる。

ゴリラ・マスク『Iron Lung』を聴いたときには、ハフェルについて、摩擦係数が高く細かなヴィブラートも聴かせる面白いサックスだなと思ったのだが、ここでは、めかぶのようにへばりつくものの、また別の塩っ辛いサックスを吹いている。

●ピーター・ヴァン・ハフェル
ゴリラ・マスク『Iron Lung』(2016年)

ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』

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ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』(TROST、2016年)を聴く。

Heather Leigh (pedal steel g)
Peter Brotzmann (ts, as, tarogato, B-flat cl)

ペーター・ブロッツマンの作品は、つまり最初から最後までいつもの通り吹くだけなのかというものが多いわけだが、これもまたそうである。もちろん貶しているわけでも褒めているわけでもない。だからブロッツマンなのだということだ。

とは言え、本盤は相手がヘザー・リーとあって、デュオとしてのサウンドはちょっと新鮮である。彼女のペダル・スティール・ギターは時空間を延々と飽くことなく歪ませ続ける。まるでのこぎりをくねくねと曲げて、それに写ったブロッツマンと自分の顔を冷ややかに眺めて内心愉しんでいるようだ。

ただでさえ我が道しかないブロッツマンのブロウが、歪んだコードとのピッチのずれによって、さらに魅力的なものになっている。これをライヴで体感したら、目の前がくらくらして倒れてしまうのではないのか。

●ペーター・ブロッツマン
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』(1997年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(1991年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年) 

チャーネット・モフェット『Music from Our Soul』

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チャーネット・モフェット『Music from Our Soul』(Motema Music、2014-15年)を聴く。

Charnett Moffett (b)
Pharoah Sanders (ts)
Stanley Jordan (g)
Cyrus Chestnut (p, key)
Jeff "Tain" Watts (ds)
Victor Lewis (ds)
Mike Clark (ds)

何を隠そうチャーネット・モフェットが好きである。90年代に、ケニー・ギャレットらとのバンド「G.M.Project」を旧ブルーノート東京で観たときにそのテクニシャンぶりにビビって以来、好きである。

本盤でも、そのベース巧者ぶりをいかんなく発揮している。巧いのでどや顔を見せる必要すらない。

ところが、メンバーも、肝心のサウンドも、90年代のまんまである。スタンリー・ジョーダン、サイラス・チェスナット、ジェフ・テイン・ワッツ、そしてスーパーレジェンドのファラオ・サンダース。みんな昔のまんまである。いやそれでもいいのだが、なんら刺激的なところがないのだ。時代遅れは悪いことでもなんでもないが、やはりこれは時代遅れである。

●チャーネット・モフェット
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(-2015年)
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く


ヨナス・カルハマー+エスペン・アールベルグ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Basement Sessions Vol.1』

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ヨナス・カルハマー+エスペン・アールベルグ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Basement Sessions Vol.1』(clean feed、-2012年)を聴く。

Jonas Kullhammar (ts, bs)
Torbjörn Zetterberg (b)
Espen Aalberg (ds)

カルハマー目当てなのではあったが、トリオとしても本当に良い。重さを保持したまま高速でインプロを繰り広げるサックストリオ、バリトンのソロからドラムスとベースとが入って爆走を始めるさまは、まるで、ジョン・サーマン、バール・フィリップス、ステュ・マーティンの『The Trio』である。

カルハマーのテナーもバリトンも同じテイストで、何気筒を積んでいるのか、鉄の塊を自在に操るドライヴァーのようだ。2012年ということは、カルハマー、ゼッターバーグ、アールベルグの3人とも30代半ばということか。いやこれはナマで観たい。

ライナーノーツには、clean feedレーベルのペドロ・コスタ氏が、このようにメインストリームのジャズと視られかねない作品を出したことに際して「authenticとは何か?」と熱く書いていて面白い。

●ヨナス・カルハマー
ピーター・ヤンソン+ヨナス・カルハマー+ポール・ニルセン・ラヴ『Live at Glenn Miller Cafe vol.1』
(2001年)

マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』

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さて今日はじめてマリア・シュナイダー・オーケストラを観に行く前に、気持ちを盛り上げようと2枚ほど聴く。

■ 『Allegresse』(Artist Share、2000年)

Maria Schneider (conductor)
Tim Ries (ss, cl, fl, alto fl)
Charles Pillow (as, ss, cl, fl, piccolo, oboe, English horn)
Rich Perry (ts, fl)
Rick Margitza (ts, ss, fl)
Scott Robinson (bs, bass sax, cl, bcl, fl, alto fl)
Tony Kadleck (tp, piccoro tp, flh)
Greg Gisbert (tp, flh)
Laurie Frink (tp, flh)
Ingrid Jensen (tp, flh)
Dave Ballou (tp, flh)
Keith O'Quinn (tb)
Rock Ciccarone (tb)
Larry Farrell (tb)
George Flynn (bass-tb)
Ben Monder (g)
Frank Kimbrough (p)
Tony Scherr (b)
Tim Horner (ds)
Jeff Ballard (perc)

細やかなアレンジで次々に楽器の音が重ね合わされてゆく。それなのにまったくヘヴィではない不思議さだ。油絵のように塗りこめていく感覚ではなく、透過性のある絵の具で色がどんどん複雑になりセンサーが悦ぶ感覚。ギターのベン・モンダーの音が効果的に使われているからこその柔らかさでもあるのかな。

ソロイストはグレッグ・ギルバート、リック・マーギッツァ、フランク・キンブロウ、イングリッド・ジェンセン、リッチ・ペリー、ティム・リース、チャールス・ピロウ、ベン・モンダー、スコット・ロビンソン。確かにジェンセンのトランペットなんてパワーで攻めず実に柔らかいし、ここにいることがしっくりくる。またソロイストとして書かれていないが、ジェフ・バラードのパーカッションも気持ちが良い。

■ 『Concert in the Garden』(Artist Share、2001-04年)

Maria Schneider (conductor)
Charles Pillow (as, ss, cl, fl, alto fl, oboe, English horn)
Tim Ries (as, ss, cl, fl, alto fl, bass fl)
Rich Perry (ts, fl)
Donny McCaslin (ts, ss, cl, fl)
Scott Robinson (bs, fl, cl, bcl, contrabass cl)
Tony Kadleck (tp, flh)
Greg Gisbert (tp, flh)
Laurie Frink (tp, flh)
Ingrid Jensen (tp, flh)
Keith O'Quinn (tb)
Rock Ciccarone (tb)
Larry Farrell (tb)
George Flynn (bass tb, contrabass tb)
Ben Monder (g)
Frank Kimbrough (p)
Jay Anderson (b)
Clarence Penn (ds)
Jeff Ballard (cajón, quinto cajón)
Gonzalo Grau (cajón)
Gary Versace (accordion)
Luciana Souza (voice, pandeiro)
Pete McGuinness (tb)
Andy Middleton (ts)

これはまた随分と雰囲気が異なる。タイトル通り、まるで緑に囲まれた中庭で音楽を聴くようなオープンで爽やかな感覚がある。

ここには、ゲイリー・ヴェルサーチのアコーディオンやルシアーナ・ソウザの囁くようなヴォイスが貢献している。また、全般にベン・モンダーのギターがサウンドを柔らかくし、フランク・キンブロウのピアノが多数埋め込まれたスワロフスキーのように光を取り込み屈折反射させている。

ソロイストは、ベン・モンダー、フランク・キンブロウ、ゲイリー・ヴェルサーチ、リッチ・ペリー、イングリッド・ジェンセン、チャールス・ピロウ、ラリー・ファレル、ダニー・マッキャスリン、グレッグ・ギルバート。マッキャスリンはハードに攻めるかと思いきや、丹念に音を選んでいてこれもまた良い感じ。

●マリア・シュナイダー
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)

趙暁君『Chinese Folk Songs』

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趙暁君『Chinese Folk Songs』(AKUPHONE/原盤FOUR SEAS RECORDS、1968年)を聴く。

それにしてもこのようなレコードを復刻するなんてフランス恐るべし。このAKUPHONEは、その後、江利チエミだとかスリランカ音楽のコンピレーションだとかを出していて、奇特なレーベルである。わたしはアナログLPを入手した。歌詞が英訳されていて仕事が丁寧。

趙暁君(Zuao Xiao Jun)は1948年生まれ。ライナーノーツによればたいへんに苦労した人生を送った歌手のようだ。19歳のときに家族の問題で大学に通うことを諦め、台北のキャバレーで歌い始めた。流行歌は外省人の持ち込む中国や香港のものが多かったが、50年代には台湾自身の歌が増えてきたという。その後シンガポールに移り、そこでも人気を博した。それゆえ1962年からスタートした台湾でのテレビ放送でも声がかかりヒットするが、人間関係に苦しめられた。そのためか、笑わない「氷の女王」とも呼ばれた。25歳で結婚するが母親からの金の無心に悩まされアメリカに逃げるも、夫の交通事故もあり破局。また台湾で母親の借金を返済する日々。2回目の結婚は相手の女道楽が過ぎて失敗。家を売ろうとしたが失敗して借金。声を失いもした。18年間の暗闇を経て、キリスト教への帰依で自身を取り戻した、とある。

歌は底抜けに明るいようなものではないが、そこまでの闇を感じさせるものではない。もちろん中国風の声を高く上げるような歌唱がありつつ、微妙に弱く、微妙にヴィブラートがかかった歌声はとても良い。サウンドも面白くて、台湾のフォークソング「Mountain Girl」では台湾内でのオリエンタリズム的な野蛮な声が挿入されたり、モンゴルのフォークソング「Little Cowherd」もまた偏ったイメージを出してくる。今となっては奇抜でサイケデリックで愉しいものだ。ジュディ・オング「たそがれの赤い月」のカヴァーもあり、それはジュディよりも声の力が押し出されている感じ。

>> AKUPHONEのサイト(「たそがれの赤い月」の動画がある)

マリア・シュナイダー・オーケストラ@ブルーノート東京

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ブルーノート東京にて、マリア・シュナイダー・オーケストラ(2017/6/10, 1st)。妙に若い人が多いが何でだろう。

Maria Schneider (comp, cond)
Steve Wilson (as, cl, fl)
Dave Pietro (as, fl)
Rich Perry (ts)
Donny McCaslin (ts, ss, fl)
Scott Robinson (bs, ts, ss)
Greg Gisbert (tp)
Jonathan Heim (tp)
Nadje Noordhuis (tp)
Mike Rodrigues (tp)
Keith O'Quinn (tb)
Ryan Keberle (tb)
Tim Albright (tb)
George Flynn (tb)
Gary Versace (accordion)
Frank Kimbrough (p)
Ben Monder (g)
Jay Anderson (b)
Clarence Penn(ds)

見るからに愉し気なアウラを身にまとったマリア・シュナイダーが出てきたあとは、もう魔術。マリアさんは事前に決めた通りに振る舞うのではなく、明らかに、その場の判断で柔軟な指揮をしていた。指示もゆるやかな感じである。しかし一方で、アンサンブルには緻密な感もある。何をしているのだろう。またソロイストが張り切っている間は、端に座って愉快そうにその演奏を眺めている。

最初はベン・モンダーがサウンドに柔らかさを与えたあと、トランペットのマイク・ロドリゲスとグレッグ・ギスバートの対決。ロドリゲスの力強い金属音に対しギスバートのこもった音が対照的。2曲目は『Concert in the Garden』の曲、ロドリゲスのトランペットとスティーヴ・ウィルソンのソプラノとの「dance」、ウィルソンの音が良い。3曲目はギスバートのトランペットに続き、ライアン・ケベールのまろやかなトロンボーン、ウィルソンのアルト、ゲイリー・ヴェルサーチのアコーディオン。

4曲目と5曲目は『The Thompson Fields』の収録曲である。前者ではリッチ・ペリーがサウンドと一体化するようなソフトなテナーを吹いた。後者ではスコット・ロビンソンがそれまでのバリトンからテナーに持ち替え、まるで虫の羽音が聴こえるような見事な音を発した。

6曲目は「sailing」がテーマの曲。ここでフィーチャーされたのはフランク・キンブロウとダニー・マッキャスリンである。キンブロウももちろん良いのだが、驚きはマッキャスリン。それまで敢えて大人しくしていたかのように、鎖をほどかれた野獣は、実にレンジが広くリズムも自在なテナーソロを繰り広げた。おそらくオーディエンスの多くが歓喜に眼を見開いてマッキャスリンのソロを凝視していたであろう。さすがである。これに対しマリアさんは、やはり歓喜と、そして猛獣使いの眼をもって、マッキャスリンを逃がすまいと見つめながらかれににじりより、また檻に入れんとして愉しそうにバンドメンバーを操った。そして最後は、デイヴ・ピエトロをフィーチャーした短い曲で締めくくった。

なるほどね、これでは音楽の化身のように言いたくなるのも不思議はない。

●マリア・シュナイダー
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)
マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』(2000、2001-04年)

●ベン・モンダー
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)

●ダニー・マッキャスリン
ダニー・マッキャスリン『Beyond Now』(2016年)
デイヴィッド・ボウイ『★』(2015年)
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)
マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』(2000、2001-04年)

●ライアン・ケベール
ライアン・ケベール&カタルシス『Into the Zone』(2014年)

喜多直毅クアルテット@求道会館

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本郷の求道会館に足を運び、喜多直毅クアルテット(2017/6/10)。

17歳のときに受験のために宿泊した旅館はこのあたりだったが、さてお隣の古い宿か別のところか、記憶にない。本当はもっとコンサート前に久しぶりに界隈を散歩したかったのだが、結局はぎりぎりに到着してしまった。

喜多直毅クアルテット: 
Naoki Kita 喜多直毅 (vln, music) 
Satoshi Kitamura 北村聡 (bandoneon) 
Shintaro Mieda 三枝伸太郎 (p) 
Kazuhiro Tanabe 田辺和弘 (b)

このグループは、途中のMCなし、拍手なし、複数の曲をメドレーで一気呵成に1時間演奏するスタイルである。

最初の「鉄条網のテーマ」は、これから起きることを恐れ暗示するかのように静かに始まった。ピアノがテンポを刻み、やがて、ヴァイオリン、そしてバンドネオン。まるで咽び泣く人間のようである。

「燃える村」。哀しさのヴァイオリン、バンドネオンが入り、コントラバス、ピアノとともに、それぞれの想いが音の波となって層を成してゆく。この繰り返しによって、走馬灯のような記憶を幻視した。哀しみのなかの悦もあった。

「疾走歌」。ピアノが入ってくる瞬間にぞくりとするものを感じる。疾走するヴァイオリン、ゆったりとしたバンドネオンとピアノとが入れ代わり立ち代わり物語を諄々と語るようでもあった。コントラバスの刻みが、不可逆な時間を体現していた。ドラマはスパイラルを描き苛烈な運命の方へと向かっていった。

「峻嶺」。かすかな低音が続き、不安を煽られる。その中でピアノが小さな存在の人間のように動きを示し、そしてまたヴァイオリンによる物語。それは諦念のようにも感じられた。

「夏の星座」。大きなものを前にして悟ったような旋律、そのもとで各人が静かに音を重ねてゆく素晴らしさがある。コントラバスの弓弾きがとても優しい。最後に、ヴァイオリンにより流れ星があらわれた。

アンコール、「残された空」。ファーストアルバム『Winter in a Vision』で最後を締めくくる曲であり、またこれまでのコンサートでも最後に演奏されることが多かった。懐かしいバンドネオンの旋律に、ピアノが光を置いてゆく。声をふりしぼるように震えて歌うヴァイオリン。やはりぐっときて、少し涙腺がゆるんでしまった。

会場の求道会館は、浄土真宗の古い建物であり、東京都の指定有形文化財らしい。演奏者の動きと聴く者の動きがそのたびにかすかな軋みの音を発し、それがまた全体の響きとともに音楽を形成した。

●喜多直毅
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)

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