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「日曜美術館」の平敷兼七特集

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NHK「日曜美術館」で、沖縄の写真家・平敷兼七の特集「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」が放送された(2016/6/19)。

1948年、米軍占領下の沖縄・今帰仁村に生まれ、高校時代に写真を始める(この頃はキヤノン・ぺリックスを使っていたようだが、やがてライカM4にカナダ製ズミクロン28mmを装着して使ったようだ)。吃音に悩む平敷にとって、相手に話しかける写真という活動はよいものだった。1967年に東京に出て写真学校に通う。政治の季節であり、沖縄も施政権の返還を前に不安な時期でもあったが、かれは政治へのリアクションではなく、沖縄の離島の生活に目を向けた。1970年、南大東島に1週間滞在。さとうきびの収穫のために数百人もの働き手がやってきていて、同時に、本島や伊江島などから数十人の女性がやってきて「料亭」で働き、性を売り、苦しい生活を成り立たせる社会があった。平敷も関係を持った。本島に戻ってからも、かれは、夜の街に通い、10年も20年もかけて、そこで生活する人たちとの信頼関係を築いた。それでこその平敷写真だった。

番組には、平敷兼七の写真に接して「ビビった」という、石川竜一氏が登場する。あまりにもダイレクトな被写体との接し方によって、写真界に大きな衝撃を与えた写真家である。わたしは初めて石川竜一の写真を観たとき、あまりの「ヤバさ」に驚愕した。一見、情と長い時間によって被写体との関係を構築する平敷兼七との共通点はなさそうに見える。しかしその一方、人と人との関係は簡単なものでも形式的なものでもないという人間観のようなものは、通じ合っているのかもしれない。賢く撮るような写真との対極がかれらの作品だということができる。 

ところで、平敷兼七が撮った南大東島の火葬場は、いまでは駐車場になっているという。石川竜一が撮ったそれは、平敷兼七の写真よりも上の空の割合が少し小さい。ここにもふたりの違いがあらわれているような気がするがどうだろう。

平敷写真にやはり衝撃を受けた人の尽力により、2007年、写真集『山羊の肺』が完成。2008年、伊奈信男賞を受賞。同年には銀座・ニコンサロンで個展(平敷兼七『山羊の肺』)。わたしもここでその存在を知り、少なからず驚き、心を動かされた。2009年、肺炎で亡くなる。

亡くなる直前には、かれは、日記に「人生の結論は身近にあり」と記していた。また、かつて、「かわいそうだという気持では絶対にシャッターは切れない。撮れたと思ったらそれは嘘だ」とも書いていた。番組に登場する石川真生氏は、この「同じ目線でないといけない」という哲学を、平敷兼七は若いときに学んだのだろうと発言している。

それはそれとして、番組のナレーションは、被写体を「社会の片隅でひっそりと生きている人々」「無名の人たち」と、いとも簡単に当てはめている。いい気なものだ。これこそが平敷兼七、石川真生、石川竜一が忌避した上からのパターナリズムではないのか。 

●参照
仲里効『フォトネシア』(2009年)
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集(2009年)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志(2008年)
沖縄・プリズム1872-2008(2008年) 


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